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神奈川宿

立教セカンドステージ大学・東横線会で神奈川宿に出かけました。東横線反町(たんまち)に集合、みなとみらい線直通までは高架の狭いホームの寂しい所でしたが、地下深くの立派な駅に変身していました。



この辺りは昔、東海道の三つ目の宿場「神奈川宿」があったところで、戸数1300、旅籠は本陣2を含めて58を数える有数の大変にぎわった宿場でした。

神奈川湊は日米通好和親条約で最初に開港された港です。付近の大きな寺はアメリカ、イギリス、フランスなどの領事館に接収され、日本で初めて星条旗がはためいた場所でもあります。また、新橋を出た岡蒸気は東京湾の海岸線を神奈川と通り、海を埋め立てて横浜、高島、桜木町に至っていました。今の横浜駅は当時の海の下です。

台町の街道筋は崖上の高台ですから風光明媚なところにありました。ここに茶屋が並んで客引きも多くあり、これが浮世絵にも残っています。目の下の海岸線や海、船、その向こうに房総半島まで眺められ、東海道でも絶景な所として有名です。



ここに唯一残っているお茶屋の「田中家」には、坂本龍馬の妻おりょうが住み込みの仲居として勤めてくれていました。月琴を奏で、外国語も堪能で、物怖じしないまっすぐな性格が、ことに外国のお客様に評判だったといいます。説明をしていただいた、女将のあけみさんもチャキチャキでおりょうさんを彷彿とさせてくれます。

こんなに近くに、歴史の跡が濃い場所が残されているのには驚きでした。今回、案内していただいたKさんありがとうございます。

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吉野ヶ里遺跡

博多に用事があったので、前から行きたいと思っていた吉野ヶ里遺跡に行ってきました。



この遺跡は弥生時代前期から後期まで700年間にわたって人が暮らし、祭りごとをした場所です。時代の長さだけでなく、規模や遺物の数をとっても日本最大の古代遺跡です。遺跡はめちゃくちゃ広くて、代々木公園と明治神宮を合わせたぐらいの広さがあります。入口付近から循環バスで一番奥の北墳丘墓に乗せてもらってから、いろいろ見ながら戻ってきました。それでも2時間は優に歩き、その日の携帯電話の歩数計は2万歩を超えました。



弥生後期(紀元3世紀ごろ)の遺構が復元してあり、まさに邪馬台国の卑弥呼が中国(魏)に使いを出したAD239年と同じ年代です。戦いが多かったようで、集落は深い堀と柵で囲まれています。その中で竪穴式住居や物見やぐら、祭祀用の高床式の建物が並んでいます。一番立派な建物は政治や祭事を行った場所と見做されています。柱を立てた穴の大きさと深さから、「1対4の法則」といって地中の4倍の高さまでなら安定することから建物の高さを推定したそうです。



周辺には小さな土まんじゅうの丘がいくつもあり、これらはすべて甕棺に収められたお墓です。ここでは甕棺が約2,000見つかっているそうです。更に北側には集落の跡が見つかっていて、掘れば掘るほど次々と出てくるそうです。それにしても、弥生時代とは、思っていたよりすごい時代であったと再認識させられました。

魏志倭人伝には、北九州にはいくつもの国(クニ)があって互いに争っていたとありますが、吉野ヶ里のその内の一つのクニであることは間違いなく、卑弥呼の邪馬台国への想いを巡らせました。

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カウマウ | MAIL | URL | 2013/04/02 05:50 PM | 9fmCtDEg |

中近東文化センター

国立天文台へのバスで中近東文化センターの中づり広告があったので帰りに寄ってみました。



国際基督教大学の近く、神学校やルーテル学院大学など異国情緒ただよう辺りにあります。看板はキッチュですが、建物は古代メソポタミアの神殿ジグラットをイメージして設計された非常にモダンな作りです。昭和54年に三笠宮の発意と出光佐三の全面協力で作られたものでそうですが、今まで全く知りませんでした。



たまたま、午後1時の学芸員の解説の時間と重なったのはラッキーでした。メソポタミアとエジプトは小麦と大麦の発祥の地で、パンとビールの最初の作り方や、楔形文字の実演やガラスの起源など人類文明の最初の一歩を実演を交えて丁寧に説明してただき、興味深く展示を見ることができました。

たとえば、初期のガラス器は粘土の芯に溶けたガラスを巻きつけるコアガラスという製法で作られていたが、ローマ時代に吹きガラスの技術が発明され、今に続いている。薄くできたので、初めてガラスが透明という認識ができた。陶器の釉薬もガラスの一種で、比較的低い温度で溶けるようにするため、鉛をいれるか灰をいれるかの2種類があるそうです。それに銅を混ぜると、鉛釉だと緑色に発色し、灰(アルカリ)釉だと青く発色するそうです。

しかし、主として財政面の制約から、3月31日をもって附属博物館及び三笠宮記念図書館の一般公開を中止せざるをえなくなりました。残念ですが、取りあえず間に合ってよかった!

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カウマウ | MAIL | URL | 2013/03/23 08:26 AM | xmCM74p6 |

出雲特別展

東京国立博物館に「出雲特別展」を観に出かけました。

「八雲(やくも)立つ出雲」は日本の古代史(神話)の中で特別なところです。天上(高天原)を追放されたスサノオは出雲に降りて地上(葦原中つ国)を支配します。その後、高天原の神々がスサノオの子孫、オオクニヌシ(大国主)から地上の支配権を譲り受けた(奪い取った)ときに、オオクニヌシは条件として、「皇孫の宮殿と同じくらい立派な神殿を建ててくれるなら、地上から隠れましょう」と臨んだことから、出雲大社が造営されました。



今でも出雲大社は日本最大の社ですが、昔は今の2倍以上の50メートルの高さがあったと伝えられています。当時の技術では不可能とされ、単なる伝説として考えられていましたが、境内から当時の巨大な柱が発掘され事実であったことが証明されました。



発掘された柱(宇豆柱うづばしら)は直径1メートルのヒノキを3本まとめたもので、これが田の字状に9本あって神殿を支えたそうです。他に、昔の社殿の復元図、出雲大社を守って来た家系が伝えている設計図などが展示されています。更に、古事記、日本書紀、出雲国風土記の古写本もありました。

来年(2013年)は出雲大社の60年遷宮、伊勢神宮の20年遷宮の年ですが、出雲大社では今の社を作り直すにしても用材は調達できないので、修理のみをしているそうです。

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シェイクスピア

誰でも分かるシェイクスピア講座を受講しました。池袋の廃校となった大明小学校の校舎を使って、大人のための講座が企画されているうちの一つです。講師は劇団すばるで演出をしている松本永実子先生です。



シェイクスピアとその作品は名前は知っているが実際に本を読んだことはなかったので、全くの初心者です。先生から課題として挙げられた作品を読んで、始めて戯曲というものに接した感じです。セリフから時代背景や役柄の性格など部隊の様子を想像しながら読むのはかなり大変でもあり、面白くもあります。また、原語から日本語に翻訳するときに、演出家の考えによって様々な解釈が成り立つのでぜんぜん違う芝居になるのでそうです。

シェイクスピアの生きた16世紀のイギリスはエリザベス1世の時代でイギリスがスペインを破って世界の覇者になろうとした勢いのある時代でした。市民が台頭して大衆芸能としての演劇が盛んになって、その人気作家としてシェイクスピアが現れた訳で、日本でいえば近松門左衛門みたいな人と考えられます。



シェイクスピアといえば、禿げあがった肖像を思い浮かべますが、実際は上の様な髪がふさふさのイケメンだったようです。高尚な作家と勘違いしていましたが、これからはもう少し気軽に演劇を見に行きたいと思います。

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スペイン階段の時計

スペイン広場・スペイン階段は映画「ローマの休日」のシーンが目に浮かぶ、チョー有名な観光スポットです。



スペイン階段の頂上にあるのがトリニタ・デイ・モンティ教会で、ローマには珍しく塔が二つある様式の教会です。その塔には向って左側に針が一つの機械式時計と右側には日時計が取り付けられています。時計が好きな教会の様ですが、時計が示す時刻はゼンゼン合っていません。500年前に建てられた教会の時計なのでその時刻は、誰も期待していません。



レレレの腕時計と教会の時計を写真に撮ってみました。腕時計は午前9時35分、教会の時計はだいたい3時半です。理由は、ローマ時間にあります。ローマでは18世紀までora canonica(礼拝の時間)が一般的に使われていました。即ち、夕方のアベ・マリア礼拝の時刻を基準として、それからの経過時間を時刻とするものです。アベ・マリア礼拝は夏は午後6時、それ以外は午後7時に行われるので、季節でも時刻が変わります。従って、午前9時は前日の午後6時(アベ・マリアの時間)からかぞえて15時間後なので、3(III)時を指すのが正解です。

従って、トリニタ・デイ・モンティ教会の時計は止まっているわけではなく、昔の表示方法で時刻を指していると考えます。

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ロレックスコピー | MAIL | URL | 2017/03/22 11:35 AM | tWHcd6p2 |

ボルジア家

WOWOWで新しく始まった海外ドラマ「ボルジア家」を見ました。



約20年前に塩野七生の「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」を読んで以来、ボルジア家のことは非常に興味があり、立教セカンドステージ大学の専攻科の修了論文にも取り上げました。また、今のサンピエトロ寺院ができる前の教皇庁の様子やルネサンス前期(15世紀)の風物や衣装がどのようなものであったかを知るのも楽しみです。

サブタイトルの「愛と欲望の教皇一族」が示すように、ボルジア一族には悪いイメージが付きまとっていますが、ドラマの上でどのように表現されるか興味深いです。欧米では「ボルジア一族」は聖職売買、陰謀や毒殺、近親相姦など道徳的退廃の象徴とみなされていて、日本での「平家一族」と似たイメージと思います。更に、チェーザレ・ボルジアは教皇の権威を後ろ盾に、冷酷なまでのリーダーシップで中世的な停滞を打ち破り、近世の扉を開いた人物としてマキャベッリの「君主論」の模範となった人物です。日本でいえば、織田信長にたとえられます。



第一回は、チェーザレの父ロドリーゴが教皇選挙(コンクラーベ)で卑劣な手段を使って教皇に選ばれてアレクサンデル6世になる過程を描いています。ジェレミー・アイアンズは如何にもふてぶてしいアレクサンデル6世を演じていますが、肖像画のアレクサンデル6世はもう少し太っていたと思うので、すこしイメージが違います。

これから9回にわたってドラマが展開するのがとても楽しみです。毎週金曜日、夜11時です。

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論語

池袋の旧大明小学校で開催された「論語」の講演を聞きました。



論語は高校の古典・漢文の授業で習った以来で、「子曰・・・」を暗唱させられた覚えがあります。昨年度、立教セカンドステージ大学で講座を持つ予定であった森秀樹先生のお話が聞けるということで、参加しました。

日本では、孔子は釈迦、キリスト、プラトンと並んで四大聖人として尊敬され、「論語」は仏典や聖書のごとく神聖で侵すことができない存在とされています。先生の話では実際の論語はその全ての部分が素晴らしいわけではなく、退屈な部分も多く、佳いところだけ抜き出して楽しめばイイとおっしゃっています。

「由らしむべし、知らしむべからず」子曰、民可使由之、不可使知之

間違った訳:
人民というものは、君主の政治にただ従わせるだけで、政治の内容を知らせる必要はない
正しい訳:
人民というものは、君主の政治に従わせることはできるが、政治の内容を分かってもらうことはできない

ここで「可」は必然の「べし」ではなく、可能の「できる」が正しい解釈です。間違った解釈は日本だけで通用し一般化してしまいました。マキャベッリの「君主論」の間違った解釈とよく似ています。

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旅と文化

ようやく立教セカンドステージ大学の後期授業が始まりました。

レレレは月、水、木の週3日、7科目の授業を取ることにしました。初日の月曜日は設楽先生の「旅と文化」と松本先生の「東洋思想からの問い」の二つです。前者はイスラム世界、後者は中国文化に関する話が主題となり、文学部の名誉教授と現役の教授によるオリエント文化と歴史に触れられる興味深い授業です。



「旅と文化」は14世紀イスラムの大旅行家、イブン・バットゥータの旅行記をもとに当時の社会・文化を読みとり、歴史にまとめることを目的とします。彼は故郷モロッコからメッカに巡礼し、シリア、アナトリア、黒海からインド、スマトラをへて中国(元)まで旅した人です。この授業では、アナトリア(トルコ)に焦点をあてて話をします。

第一回目なので、イスラムの起源、アラブとトルコのイスラムの違い、砂漠に水はあるが草原には水はない話、西欧から見たイスラムの誤解など興味深い話を聞きました。9.11事件について、ブッシュ大統領が「反テロリズムの十字軍」としてイスラム世界に乱暴に攻め込んでテロを撲滅するためには何をやってもイイとした独善的な考えと行動の過ちがわかってきました。

まず、イスラムとはなにか、14世紀の世界情勢は、トルコとはなにかを理解したいと思います。

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マストロ・ティッタ

「隠れたローマの観光スポット」講座は最終回、「マストロ・ティッタ」チョット怖い話

Alessandro Clementi先生は春からイタリア大使館の書記官になるため、本当に最後の授業になってしまいました。毎回、おみやげのお菓子が飛び交うラテンの乗りで賑やかな教室で、ローマの人からしか聞けない深イーうんちくのある話が聞けなくなってしまうのは、本当に残念です。

ローマ・テベレ川右岸のサンピエトロとサンタンジェロに挟まれた一角はボルゴと呼ばれる高級住宅街ですが、昔は職人が集まる下級市民の街でした。そこに住む傘職人のGiovanni Battista Bugattiはもう一つの仕事を持ち、70年近くも続けていました。仕事の出来栄えはよく、人々はマストロ・ティッタ(Mastro Titta)と呼んでいました。

その仕事とは「死刑執行人」、斧による斬首(decollato)、ギロチン、絞首、4つ裂きなどメニューはいろいろそろっています。斬首は苦しむ時間が短いので他より「軽い」刑なのです。1796年から1868年までに516人に執行(giustizia)し、一回当りの手間賃はたった3リラです。

執行は公開でサンタンジェロ広場、ポポロ広場またはマッシモ広場で行われ、市民は子供をつれて見に行ったそうです。執行の瞬間、親は子供の頬をビンタして「悪いことをすると、こうなる」と諭すのだそうです。

当然、マストロ・ティッタは市民から嫌われ、恐れられていたので、執行のとき以外はテベレ川左岸の街中に出ることはできませんでした。Mastro Titta non passa ponte.(マストロ・ティッタは橋を渡れない)。

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rerere | MAIL | URL | 2010/03/11 11:57 AM | pAFqVYRg |

yocchan | MAIL | URL | 2010/03/11 11:45 AM | jasb0xsY |